アクセシビリティについて考える日

今日は、Advent Calendarのアクセシビリティ担当の日。昨年は、

CSS NITE IN SHIZUOKA , VOL.3 -アクセシビリティ・ミーティング- から1年半経って

こんな記事を書きました。そして、同じくJimdoのAdvent Calendarでは、

お客さまの顔がみえますか?

という記事で、Jimdoのお客さま向けにアクセシビリティについて書きました。
そんな今年、何を書こうかとずっと悶々としていたのですが、この機会になんでそもそもアクセシビリティに向き合うようになったのかを思い出して書いてみようかと。

自分の当たり前が当たり前でないということ

それは突然やってきました。パソコンを買ってあげた相方が、ある日悲しそうな目をして自分に訴えてきました。何事かと思ったら、どうやらあるウェブサイトをみていたら、どうしてよいのかわからなくなったというのです。

画面を見ていると、何のことはない普通の個人のサイトのトップページ。画面の中央に「Go」と書かれたボタンが一つ。Goをクリックするだけで次のページへいける訳ですが、それが何の意味を持っているのかがわからずに、その画面の前で困っていたという次第。

こう聞くと、アクセシビリティ関係ある?って思うかもしれませんが、話はさらに続きます。同じようにウェブサイトをみている相方。また同じように悲しそうな目をして訴えてきます。

何事?と思って聞いたら、どうやらみているサイトのメニューがすべて英語で、知りたい情報に行くのに何をみればよいのかわからないというのです。

  • Home
  • Product
  • Support
  • Access

ほかにどんなメニューがあったのか覚えてないけれど、こんなメニューだった気がします。これも、商品情報だったらProductだし、サポートだったらSupport、会社のアクセス情報だったらAccess。単純にこれだけのことですが、これが何の意味なのかが分からないということで、そこで思考停止してしまったというわけです。

そう、英語がわからないのです。みたことはある字体かもしれないけれど、それが商品情報をさしているのかどうかが理解できないわけです。

当時、当たり前のようにそうしたラベルを付けていた記憶があるのですが、それが理解できない人がいるということを想像できなかった、そんな頃でした。

そして、後になってわかったのが、学習障害で軽度の知的障害を持っているということ。文字を形で認識することはできるけれど、その意味がうまく理解できない、そういう特性をもっていたのです。

そこから、障がい者のインターネット利用に興味がわき、そしてウェブアクセシビリティという言葉に出会い、誰もが使えるウェブサイト、そこにコミットしていきたいという気持ちになったのでした。

なんかとりとめもない話になってしまいましたが、「自分の当たり前は当たり前じゃない」それを今回の記事として残しておこうと思います。

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